(備忘録)少数事例分析の方法論的考察—『国家はなぜ衰退するのか—権力・繁栄・貧困の起源を読んで—

今回は、『国家はなぜ衰退するのか』(Why Nations Fail: The Origins of Power, Prosperity, and Poverty. 2012.)をたまたま読んだところ、少数事例分析について色々考え直すところがあったので、備忘録を兼ねて、考えを整理する。

 

国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 

 

国家はなぜ衰退するのか(下):権力・繁栄・貧困の起源 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

国家はなぜ衰退するのか(下):権力・繁栄・貧困の起源 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 

著者の ダロン・アセモグルとジェイソン. A ロビンソンは政治経済学ないし比較政治学界隈では著名である。民主化研究でも、必ずといって引用されていたりする。

 

 本書のテーマは、「なぜある国は経済的に繁栄し、他の国では衰退してしまうのか?」というものである。世界の国々における裕福な国々(アメリカやイギリス、ドイツなど)と貧しい国々(サハラ以南のアフリカ、中央アメリカ、南アジアの国々など)の経済的格差をもたらしした究極的な要因は何か、というのが中心的な問いだ。

 

結論から言えば、経済的格差をもたらす最も重要で基底的な要因は「制度」である。ある国家や社会において持続的な発展ができるかどうかは、その制度的枠組みが「包括的(inclusive)」か、それとは逆に「収奪的(extractive)」かによって規定される。

 

繁栄にとって重要なのは、社会の様々な集団がイノベーションや投資に対して動機づけられるようなインセンティブである。そして、そのようなインセンティブが生まれるのは、「包括的な経済制度」である。財産権の保護や公平な法体系、自由で公正な市場を担保する包括的経済制度の下では、人々が自分の才能や技術を最大限発揮できるのである。

 

経済の趨勢を規定するのは、経済制度であるが、どのような経済制度が選択されるかは、社会の政治制度に依存する。とりわけ、「包括的な経済制度」が実現するのは、政治制度も包括的でなければならない。「包括的政治制度」とは、十分に中央集権化が進んでおり、また、議会制民主主義のような多元的な政治制度を指す。

対照的に、経済・政治的制度が「収奪的」は、ごく一部の少数のエリートによる利益や資源の搾取が可能になる。それゆえ、社会の諸集団は、エリートによる抜き取りを予期し、、投資やイノベーションに対するインセンティブを持たない。また、エリートもイノベーションによる「創造的破壊」により自らの権力基盤が転覆されるのを危惧し、 包括的な経済制度を採用しないばかりか、権力によって経済成長で豊かになろうとする社会集団の活動を抑制しようとする。一度、この悪循環に陥ると、収奪的制度から包括的制度の移行は困難になる。

 

 

大雑把であるが、以上が様々な歴史的事例の比較分析を通して語られる。原書が2012年と既に5年前であることから、本書の書評等もWEB上で多く出回って、様々な考察もされていたりして、すでに様々なカウンターアーギュメントも存在する。それだけに、膨大なリサーチに基づいて本書が提示する仮説が触発的であることの証左であろう。

 

少数事例分析の方法論

ここでは、方法論的観点からアセモグルとロビンソンらによる比較事例分析に注目してみたい。

 

アセモグルとロビンソンは、歴史的事例に対する分析から、「ある国の政治経済的制度がその経済的繁栄を規定する」という一般理論を検証している。

一般に、社会科学(政治学に偏るかもしれないが)において、一般理論の妥当性を実証的に検証する方法としては、統計的分析のような量的分析と、少数事例分析などの定性的分析が対置される。

 

しばしば、少数事例分析では、外的妥当性の問題、つまり、その事例の観察で確認できても、他の多くの事例でも同様に確認できるかわからないことが指摘される。それゆえ、事例分析では、チェリー・ピッキング(数多くの事例の中から自らの論証に有利な事例のみを恣意的に選択する)や、事例ごとに他の要因を有無をアドホックに説明できたりする余地は否めない。

これに対して、量的分析は、多くの事例についての観察において、多数の変数間の関係を同時に分析することができる。そのため、量的分析は、少数事例分析の直面する「自由度」(degree of freedom)の問題を回避できる。多量の事例につて、統一された変数の影響を平等に考慮することができるので、統計的分析といった量的分析は、一般的な傾向を観察しやすいのかもしれない。

 

それでは、少数事例分析の意義とは何なのか。また、少数の事例では、効果的に因果関係を説明することはできないのか。

 

少数の事例であっても、方法論的に事例選択を正当化することは可能である。アセモグルとロビンソンは、「最類似システム・デザイン」(most similar systems design)によって、国家や地域における経済状況の差異を説明している。*1

 

「最類似システム・デザイン」(most similar systems design)では、比較する事例が、非常に似通っているのにもかかわらず、ある要因によって、異なる結果がもたらされた場合に、因果推論が可能となる*2

 

アセモグルとロビンソンは、アリゾナ州のノガレスとソラノ州ノガレスが、文化や民族、地理的といった点で非常に似ているのにも関わらず、両州を隔てる大きな格差が存在していることに着目し、その要因を制度であると論じた。また、中世における西欧と東欧の違いはほとんど存在しなかったが、制度的差異によってその後の経済的な運命が分岐したことを論じている*3

このように比較対象となる似たような観察対象が、異なる帰結を辿っている場合には、同様に異なっている残された要因から、因果推論を行うことができる。

 

量的分析の弱みから検討しよう。量的分析で示される因果関係 (causation)は、基本的にデータ上の相関関係 (correlation) に過ぎないということである。というのも、相関関係は、「原因Xが結果Yを引き起こす」と想定されていたとしても、実際には逆の因果関係が生じている可能性がある。あるいは、現実には因果関係がなくても、何らかの理由でデータ上に相関関係が観察されることもある( 疑似相関)。それゆえ、量的分析における因果関係の実証は、そこで想定される因果メカニズムが説得的であるか、どうかにかかっているといっていい。

 

これに対して、事例分析は、過程追跡 (process-tracing) などにより、理論(仮説)が想定する因果メカニズムが、個々の事例で実際にどのように起こっているかを詳細に検討することができる。

過程追跡は、原因(独立変数)と結果(従属変数)の間に介在する因果メカニズムを解明しようとする手法である。統計分析で示される 相関関係は、変数間の「傾向」を示すものであるが、定性的分析は、ドミノ倒しのように生じる原因と結果の間の因果の連鎖を詳述することで、因果推論を補完するのである。これは、一見論理的に一貫したような理論が、現実には全く別の因果メカニズムが働いていたというような因果推論上の誤認を回避したりするのに役に立つ。

また、因果メカニズムを重視する立場は、過程追跡によって、同一帰着性の問題も対処できるという*4。同じ結果に至っても異なる因果経路が存在する可能性があり、事例分析での過程追跡は異なる因果メカニズムを捕捉できるのである。

 

アセモグルとロビンソンは、経済的繁栄を根源的に左右するのは、政治経済的制度であると論証する。これらの説明は、経路依存性に基づいている。歴史的な「決定的分岐」(critical juncture)と連動しつつ、初期の制度的差異が、その後の命運が決定する。

 

papers.ssrn.com

 

アメリカ合衆国とメキシコの差異を論じる中でもその動態的なメカニズムが描かれている。

新大陸が植民地化されたときに、スペインは、当時の強大国だった。人口密度の高い地域に進出し、黄金を略奪した。現地住民を強制的に労働させ、アステカやインカでは、エンコミエンダ制度といった収奪的制度成立した。ナポレオンのヨーロッパ帝国が崩壊した時に、スペインでは国民主権やあらゆる特権、強制労働の廃止を含む憲政改革が模索されたが、南米のエリートは抵抗し、独立した。メキシコは50年間、政情不安に陥り、植民地時代の経済制度が温存された中で、経済的なインセンティブや創造性が抑圧された。

 

他方、当時弱小国だった英国は、植民会社は原住民の強制徴用に失敗した。そこで、ヨーロッパ系の入植者から搾取しようとしたが、入植者もそこから逃げ出す選択肢もあった。それで、植民会社は、土地の所有権と政治的権利といった経済的なインセンティブを入植者に与えざるを得なかったのである。これがアメリカの包括的制度の起源である。南北戦争といった内乱を経てもこの包括的制度は生き残った。メキシコと異なり、独占的に利益を得ようとする政治家も、選挙をはじめ包括的な政治制度により排除された。

 

以上、『国家はなぜ衰退するのか』から少数事例分析の意義を改めて考えてみた。少数事例であっても、その事例選択を説明・正当化するリサーチ・デザインは可能である。また、因果メカニズムの分析においては、事例による詳述が有効である。事例研究は通して、新たな仮説の構築や理論の改善に寄与することもある。無論、少数事例分析には、限界も存在するが、量的分析と相互補完的に研究を行うことは重要であろう。

 

 

 

 

 

 

関連文献 

社会科学のケース・スタディ―理論形成のための定性的手法

社会科学のケース・スタディ―理論形成のための定性的手法

 

 

 

*1:古くは、ジョン・スチュアート・ミルによって定式化された「差異法」(method of di erence)に由来する。また、同様に、ミルの「一致法」(method of agreement)は、「最相違システム・デザイン」(most different systems designs)と称され、二つの国ないし地域が、多くの点で非常に異 なっているにもかかわらず、考察対象となる現象では同じ状況が生じている場合に利用できる。

*2:対象比較のメリットに関しては、Tarrow (2010)が詳しく論じている。

*3:とはいえ、一般書向けな体裁からか、本書では多くの事例分析で、対象比較のようなリサーチ・デザインになっていることを説明している箇所は少ない。ただ、元の研究では、事例選択が吟味されているようである。

 

Natural Experiments of History

Natural Experiments of History

  • 作者: Jared Diamond,James A. Robinson
  • 出版社/メーカー: Belknap Press
  • 発売日: 2011/04/15
  • メディア: ペーパーバック
  • クリック: 5回
  • この商品を含むブログを見る
 

 

*4:詳しくは、Geroge and Bennet (2013) を参照。

『私たちはどう生きるべきか』を読んでの雑感:倫理的な生き方とは?

年末年始に帰省した際に、実家の本棚を整理していると一冊の本が目に止まった。ピーター・シンガーの『私たちはどう生きるべきか』(原題:How Are We to Live?: Ethics in an Age of Self-Interest)だ。

 

私たちはどう生きるべきか (ちくま学芸文庫)

私たちはどう生きるべきか (ちくま学芸文庫)

 

 

以前、何度か読んでいるのであるが、個人的にも、ちょうど「自分の取り組んでいることが社会にどういう影響をあたえるのか」、あるいは、「社会のために力を尽くしたいという考えは自己欺瞞なのか」といった自問自答のさなかにあったところであるし、本書を改めて読んでみると、幾ばくかヒントを得られたように思える。

 

 

 

本書は、書名の通り、「私たちはどう生きるか」について倫理な実践を説いた本である。著者のシンガーは、倫理学者で、功利主義生命倫理における理論的な貢献もさることながら、環境保護や動物保護、そして自らも菜食主義を掲げつつ、アクチュアルな問題群に関して、運動を牽引してきたことで知られる。

 

動物の解放 改訂版

動物の解放 改訂版

 

 

 

平たく言えば、本書の主張は、次のとおりである。それはすなわち、①私利私欲の追求する現代の人類は、資源の消費や地球環境を無尽蔵に破壊し、持続の困難に直面している。また、②私益の追求は、幸福をもたらさない。そして、③倫理的な生き方とは、個人的な利益の追求ではなく、人類全体や動物全体といったもっと広い他の目標と自分自身が同一化することによって、人生に意義と充足感を与える生き方である。

 

倫理に関する本は数多と存在するし、この種の主張は、ありふれたものとして嘲笑されるのかもしれない。しかし、はじめて一読した際には、シンガーの極めて論理的で、精緻な議論の運び方に感銘を受けたものだ。シンガーは、現代における喫緊の環境問題の由来を述べつつ、主要な倫理・哲学思想への批判、あるいは、進化論、囚人のジレンマ、フェニミズムといった多種多様な議論から、論を進める。そして、私益と倫理の調和」を提唱し、倫理的な生き方がいかに社会にインパクトを与えることを明晰に説いている。

 

 

まず、私利私欲の人間の性を論じる上で、資本主義の話は避けては通れないだろう。私益を追求する人間の生き方の由来を説く上で、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に言及されている。シンガーは、私益を追求する人間の生き方の由来に関して、資本主義精神に特徴的な「財の取得のために材を取得する生き方」が倫理的に要請されている、という考えを引き合いに出して論を始める。そして、アダム・スミスの経済学の背景にある自然観を改めて問い直す必要性を指摘する。

 

物質的な意味での成功での成功という点で目覚ましい成功をおさめた人の中には、一生働いてそれなりの報酬を得ても、その報酬はいったん手に入れてしまうとつまらないものになる、という経験を持っている人も多い。アダム・スミスだったらこれを聞いてもまったく驚かないであろう。物質的な富による幸福の追求は欺瞞に基づいている。私たちにとって本当の利益は何かという観点だけ考えても、よい生き方に関する考えを変えなければならない強力な論拠がある。

 

私益を追求しても、人は充足感を得られない。加えて、現在の生態学的な情勢を考慮すれば、人々にとって、倫理的にいきることこそ、理に適っているのかもしれない。

 

シンガーの理論的背景は、『実践の倫理』に詳述されている。私利私欲の追求と倫理的な生き方を比較分析し、倫理的な生き方のほうが真の幸福、つまり、真の利益をもたらすことを論証している。

 

 

実践の倫理

実践の倫理

 

 

人々は往々に私益と倫理の間の葛藤の狭間にいる。 

私益を完全に否定するような倫理的な原則は、聖人にしか真似できないし、建前として形骸化してしまいかねない。シュバイツァーマザー・テレサのような人にしか実行できないような完全無欠な倫理原則が前提であれば、「自分は不完全であるから、それを実践するのはやめておこう」と、結果的に私益の追求を精を出すしかなくなるのである。そういった意味では、倫理と私益を架橋するような実践が必要である。

 

カントによれば、「 普遍的法則そのものをひたむきに守ろうとすること」だけが、道徳的行為の動機でなければならない。周知の通り、かの有名な「定言命法」である。発展途上国への寄付が、貧しい人を助けたいから、という欲求に基づいているのであれば、カント的立場においては、道徳的価値はない。他の人間を助けることが自分の義務であり、普遍的法則にそったものであると、動機付けれれて寄付をしなければ、道徳的行為をしていることにはならないのである。理性をもった存在として、道徳原則を意識し、それに畏敬の念を抱かざるえないのかもしれない。しかし、このような道徳原則は、欲求をもった身体的な自分の本性と対立を起こすと思われる。

 

そういった意味でも、私益と倫理ないし道徳原則を調和させて行くような考えは重要である。人間の本性とも親和的であり、それは人生の倫理的指針における実践性を高めると思う。このことは、自分の利益や社会の利益に対して、どのように向き合っていくかを考える上で重要なヒントなのではないだろうか、そんなことを考えた年末年始だった。

 

 

 

 

イスラムフォビアとメディアのムスリム女性の描き方:米国ニュースに関するテキスト分析

2017年にInternational Studies Quarterlyに掲載されたJ Furman Daniel, III Paul Musgrave. (2017) "Islamophobia and Media Portrayals of Muslim Women: A Computational Text Analysis of US News Coverage"を紹介する。本研究は、アメリカ・メディアのニュースの内容に関して、テキスト分析を行なっている。

 

academic.oup.com

 

研究の背景

研究の内容に入る前に、簡単に研究の背景にふれておく。アメリカにおいてムスリム嫌悪が顕著になっている。最も典型的な解釈は、イスラムフォビアイスラム教やその信者に対する嫌悪や偏見)をテロリズムとの関連で論じるものであろう。実際に、研究では多くのメディアはテロリズムをはじめとする政治的暴力とムスリムを結びつけて発信してきたことが指摘されている。

 

The Arabs and Muslims in the Media: Race and Representation after 9/11 (Critical Cultural Communication)

The Arabs and Muslims in the Media: Race and Representation after 9/11 (Critical Cultural Communication)

 

 

また、こうしたメディアによるムスリムの描写は世論にも影響を与えている。世論データでも、人々の間でイスラム教と「西欧的価値観」(寛容や自由、平等、市民性など)が両立できないものとする見方が増長してる (Powell 2011)。さらに、人々がイスラム教に対して文化的に異なるものとして認知するようになると、よりネガティヴにムスリムを捉えやすくなることも指摘されている (Ciftci 2012)。

 

イスラムフォビアと生み出されたオリエンタリズム

 そもそも過去30年に渡って、多くの研究で西欧によるムスリムや中東の文化、社会、宗教の描き方に対して批判が行われてきた。その先駆けともいえるのが、エドワード・サイードによる『オリエンタリズム』である。

 

オリエンタリズム〈上〉 (平凡社ライブラリー)

オリエンタリズム〈上〉 (平凡社ライブラリー)

 

 

イードは、文明的な「西欧」と野蛮な「東洋」の二元的に表象するものとして、「オリエンタリズム」を批判した。そして、「オリエンタリズム」言葉は単なる西欧と東洋の二元性を表象にとどまらない。サイードにとって、「オリエンタリズム」は西欧の文化的・政治的優越性を生み出し、近代化という名目のもとに、ムスリムの土地を植民地化する正統性を付与するものに対する批判があったことは有名である。

9.11テロ以来、テロとの戦いや関連する政治的発展の中に「ネオ・オリエンタリズム」を見出す研究者たちによって、オリエンタリズム研究は再び勢いを取り戻してきている。アメリカ・メディアの言説は、中東やムスリム社会を西欧と対比しながら、「女性蔑視」的なものとして描いていると指摘される (MAHMOOD 2006)。また、アメリカ・メディアの言説は、性的に自由で解放された西欧の女性とムスリム女性を対比する傾向がある。このような二項的な見方は、西欧のフェニミストが、ムスリム女性を抑圧的な宗教や文化、伝統から「救出」するための正当化に用いらているという。したがって、オリエンタリズムの再生産の中で、アメリカ ・メディアがムスリムに対して「女性嫌悪」という表象を与え、ムスリムに対するステレオタイプ—非文明的で野蛮であり、西欧的価値にとっての脅威—を強化してきたと主張されてきた。


研究目的


では、以上のようなオリエンタリズムの主張が事実であるのか?どのように確かめればいいのか?

 

本研究の目的は、「文化的脅威」、すなわち、ムスリムに対する「ジェンダーギャップ」や「女性嫌悪」といったステレオタイプを伝搬するメディアの影響を明らかにすることである。筆者は、過去35年間の『タイムズ紙』および『ワシントンポスト紙』の「海外の女性」を報じるニュースに関して、機械学習に基づくテキスト分析を行った。その結果、アメリカ・メディアの報道には「確証バイアス」と「フレーミング」の影響があることがわかった。

 

①確証バイアス

アメリカ・メディアの報道では、女性の権利が蔑ろにされているような社会的な記述において、「ムスリム女性」が取り上げられる傾向にある。他方、「非ムスリム女性」は、女性の権利が尊重されている文脈でしか記述されない傾向にある。筆者によれば、このようなメディアの報道は「確証バイアス」があるという。換言すれば、アメリカ・メディアの報道では、「ムスリム女性は女性の権利が侵害されるような社会に住んでいる」という信条を支持するような記情報ばかりを収集し、それを反証するような情報を無視する傾向があるということである。そして、「非ムスリム女性」は男女平等や女性の権利尊重と結びつけられて報じられている。

 

しかし、上記の結果を評価す上でいくつか懸念点もある。

  • 政治体制による影響が推定結果を過大にしてしまう可能性。

女性のニュースは他のニュースと比べ、より多くの個人的な取材や現地取材を必要とするかもしれない。しかし、ジャーナリストが言論の自由報道規制が敷かれているような権威主義体制の国で報道を行うのは難しい。そのため、限定的な報道の中での「女性についての報道」は、その国の政治体制や報道環境の受けて、「ステレオタイプ描写」がされやすい可能性がある。つまり、政治体制とそれに付随する報道環境によって、「女性についての報道」と「ステレオタイプ描写」の関係を過大に推定してしまいかねない。この可能性を考慮して、筆者は回帰分析の際に、統制変数として民主主義指数(PolityIVデータセットのPolity2を使用)を投入している。

  • 政治的安定性が推定結果を過大にする可能性

同様に、国内混乱や暴動が頻発しているような国の報道環境が原因で、「女性についての報道」と「ステレオタイプ描写」の関係を過大に推定してしまうかもしれない。そこで、筆者が政治的安定性も統制し、分析を行なっている。

 

フレーミング効果

アメリカ・メディアは、ムスリム社会を報じる際に、特定の女性の権利の問題やジェンダー差別の問題に絞る傾向がある。このようなフレーミングには、次の2点の説明が可能である。第一は、「内集団バイアス」(内集団びいき)による説明である。つまり、ムスリム社会が非ムスリム社会よりもより差別的に捉えらようとするバイアスである。第二は、inter-reality biasである。実際には、女性の権利保護やジェンダー規範が比較的よく遵守されていたとしても、イスラームの国を取り上げるトピックは、より構造的な男女格差を際立たせるようなコンテンツ化されてしまう傾向がある。

 

筆者は以下の分析上の懸念的言及している。

 

  • 女性の権利に対する国家の保護レベルが推定結果に影響してしまう可能性。

 

例えば、人権保護の程度が低い国は、より多くの報道がその国の人権状況を受け取るやすくなる。そのため、筆者は、国家の人権保護のばらつきも統制した上で、推定を行なっている。

 

以上から、筆者は「女性についての報道」と「ステレオタイプ描写」の関係を推定する上で、女性が報道される海外の国の「政治体制」や「政治的安定性」、あるいは人権保護の程度の影響も考慮している。これらの影響を差し引いた上でもアメリカ・メディアの報道には「確証バイアス」や「フレーミング」があることが統計的に確認できるという。

 

 

結論

 

どのような社会も男女差別に晒されないというわけではない。しかし、本研究が明らかにしたのは、アメリカ・メディアによる女性やその権利の描写の仕方には偏向があるという事実である。ムスリム女性が「報道価値」のあるものとなるのは、ムスリム社会で彼女らの権利が侵害されているという文脈に基づいている。それゆえ、アメリカ・メディアの報道には確証バイアスの疑いが濃厚である。

 

また、アメリカ・メディアが女性の権利に対してグローバルに気を払う事に対しては限定的である。しかし、ムスリムや中東の国々の女性の話題に限っては、「女性の権利を侵害している社会」がニュースの中心的な位置に占める。この事実は次の示唆を含む。すなわち、メディアの関心やリソースの動員が不公平に偏っている限りにおいて、たとえアフリカやアジア、ラテンアメリカ、あるいはヨーロッパの国々の「非ムスリム」女性の権利が甚だしく侵害されていたとしても、メディアの脚光を浴びないということである。

 

以上のようなアメリカ・メディアのムスリム女性に対する偏向は、ムスリムのコミュニティ内の男女平等の目標に対しても逆効果であるかもしれない。「ムズリム女性の受ける抑圧」への不適切な焦点の当て方は、ムスリムの男女間でも不信や猜疑心を助長しかねない。名指しを受けるのに嫌悪したムスリムはフェニミズムの批判と帝国主義イスラムフォビアを同一視してしまい、ムスリム社会から自発的に始まる男女平等のための動きが阻害されてしまう可能性もあるのである。

 

 

 

 

 

政治的キャリア志向における男女格差の起源を明らかにする

APSRに掲載された Lawless and Fox (2014) "Uncovering the Origins of the Gender Gap in Political Ambition".を雑にまとめる。

 

www.cambridge.org

 

政治キャリア志向に対する男女格差

公選職に占める女性の割合は著しく小さい。2013年1月の第113回アメリカ合衆国議会の議員のうち男性が占める割合は82%であった。女性議員を求める社会的要請が叫ばれているにも関わらず、実際には、公選職における女性の割合は以前と低い。

なぜ選挙による公職では女性の占める割合が少ないのか?なぜ政治的キャリアを志す女性は少ないのか?いつこのような差異は生じるのか?

 

そこで、筆者らは、サーベイ調査に基づく分析によって、政治キャリア志向における男女格差の起源を説明する。約4000人の高校生および大学生を対象としたサーベイ調査によって、就職前の時点で男女間に政治的なキャリアを目指す志向性に著しい格差が存在することが明らかになった。そして、筆者らはこの格差が生じる要因を「政治的社会化」(political socialization)に求める。筆者らによれば、「政治的社会化」つまり、家庭の政治志向や政治志向を育む学校生活、競争活動への参加、学生一人ひとりの自負心といった要素がもたらす政治志向への影響が男女では異なるという。そして、これらの差異によって、将来における選挙を通して公職を目指す男女間の志向性に大きな差異が生じるという。


学校教育の段階で政治的キャリアに対する志向性の男女格差は顕在的

大部分の成人と同様に、学校教育を受けているような若者も明確には政治家を目指しているわけではない。しかし、政治的キャリアに対する志向性は、男女間で若いうちから存在している。

4000人の学生を対象とした調査によれば、公選職に就くことを何度も考えたことのある男子学生は女性に比べ2倍多い。また、男子生徒の3分の2は、将来のいずれかの時点で、公選職に就くことを「きっと」検討すると答えた一方で、女子生徒は男子生徒よりも45%以上「まず考えない」と回答している。

 

このサーベイでも男女間の差異は明確であるが、高校生および大学生の政治的キャリアに対する漠然とした考えは、実際の心中の志向性とかけはなれているかもしれない。そこで、筆者は仮想的な職業選択に基づいたサーベイによっても、政治的キャリア志向に対する男女間の格差を確認している。

 

筆者らは、学生に対して経営者、教師、セールスマン、あるいは市長のうち将来、何になりたいかを質問した。男女とともに経営をすることや教師になることが上位を占めたが、男子の方が女子よりも3分の2以上多くの割合で「市長」を回答した。

また、より上級職の選択として、企業の重役、弁護士、学校の校長、議会議員を与えたところ、同様に、女子は男子よりも政治的キャリアの選択(「議会議員」)を避ける傾向がみられた。

 

 

政治キャリア志向に対する男女格差の要因:「政治的社会化」

以上の調査によって、学校教育の過程において、すでに政治的キャリア志向の男女格差が存在することがわかった。では、こうした違いの原因はどこから生じるのだろうか。筆者らはこの格差が生じる要因を「政治的社会化」(political socialization)に求める。筆者らの言葉を借りれば、「政治的社会化」とは、政治態度や政治行動を形成する幼少期ないし青年期の経験である。政治的社会化は具体的には以下の5点である。

①Family Socialization

家族関係は若者の政治的志向性にと深い関わりがある。政治にまつわる家族とのやりとりは、幼少期の政治態度を形成する重要な要因となる。例えば、子供がどの政党を支持するかも、しばしば両親の影響が大きい 。

また、シティズンシップや政治活動、政治的利益に対する考えの形成も幼少期での家庭環境に因るところが大きい (Verba, Schlozman, and Burns 2005)。

The Social Logic Of Politics: Personal Networks As Contexts For Political Behavior

The Social Logic Of Politics: Personal Networks As Contexts For Political Behavior

 

 

家庭でのやりとりは若者の政治的関心や志向を形成する。しかし、筆者らによれば、男子に比べ、 女性は過程における政治的な養育に乏しくなる可能性があるという。調査においても、父親と政治に関して話したことを覚えている女子は、男子に比べ、およそ20%少なかった。また、両親が公選職に就くように勧めることも、15%低い。

 

②Political Context.

政治に対する若者の志向を醸成するのは、家族関係に限らない。学校での経験や同世代とのコミュニケーション、あるいはメディアとの接し方は、若者の政治的態度に影響を与える。

 

例えば、学校での政治的な授業は若者の投票行動に与える。

Voice in the Classroom: How an Open Classroom Climate Fosters Political Engagement Among Adolescents | SpringerLink

また、授業以外の課外活動に参加することで、 若者は政治的な考えを形作る。

Political Socialization or Selection? Adolescent Extracurricular Participation and Political Activity in Early Adulthood on JSTOR

若年期にメディアから受ける影響も重要である。新聞などの伝統的なメディアに限らず、インターネットやブログなどは若者の政治的関心や投票率を向上させる傾向がある(Iyengar and Jackman 2004)。

 

学校やその課外活動、メディアなど、若者をとりまく多様な政治化(politicalized)された外部環境は、男女ともに政治的志向を形成するように働きかけることが期待される。しかし、筆者によれば、この点においても男女間で政治的志向に生じるという。こうした男女間の政治的志向形成の差異は、大学の学部や仲間とのふれあいに関係している。

 

歴史的に見ても、女性よりも男性の大学生の方が政治学や公共政策を専攻することが多い。また、インターネット上の傾向としても、男性の方が女性よりも政治に関する情報に時間を費やすことが指摘されている。

 

③Competitive Experiences.

公選職を志す者は競争的な状況を好むことはよく知られている。

生徒会やディベート競技、スポーツに到るまで、若者はしばしば学校での競争的な状況を経験する。競争の経験は、将来、選挙に望む上で重要な要因である。

 

スポーツ競技への参加した経験は、経済ないし心理的にポジティブな利益をもたらす (Lechner 2009)。また、高校にしろ大学にしろ、生徒会に参加することは、政治過程を理解し、政治的キャリアに進むことを啓発する作用もある (Lawless and Fox 2010)。

しかし、筆者によれば、競争的環境によって、男女が受ける影響にも差異が存在するという。

例えば、プロスポーツでも、男性は女性よりも競争的傾向があり、また競争に対して自信を誇示しやすい。そして、そもそも、スポーツ競技において、男女格差が著しいという事実があるという。

 

④Self-Confidence.

自信(Self-Confidence)がどれだけあるかという認知によって、公選職を目指すインセンティブが左右される。

自信(Self-Confidence)の認知の仕方に関しても、男女間で差異が存在することが検証されてきた。男性はより自信家になる傾向があり、積極的かつ上昇志向が高いとされる。他方、自信に溢れる女性のリーダー像に対しては、「不適切」ないし「望ましくない」ものとして解釈されてしまう文化的態度が存在すると指摘される(Enloe 2004; Flammang 1997)。

実際、男性と女性ともに実際の政治的な水準に関わらず、「女性は政治のことを知らない」と認知しやすいようである(Mendez and Osborn 2010)。

www.jstor.org

 

⑤Gender Roles and Identity.

根強く残る男女間の伝統的な役割意識—女は家庭を支え、男は一家の稼ぎ手になる—も男女間の政治的キャリア志向の差異に影響していると考えられる。政治家になること、つまり、公選職を持つことは、「男性の仕事」と捉えられてきた(Hegewisch et al. 2010)。そのため、伝統的な分業意識によって、女性が公選職を志向することに消極的になる可能性がある。

 

ただ、ジェンダーの観点からみたとき、男女の役割意識が政治的志向に与える影響は複雑である。

 

女性の政治的な布教活動や政治的利益は、公選職についた女性政治家のプレゼンスと相関している。Atkeson (2003)は、アメリカにおいて女性政治家の活躍が顕著な州では、そこに住む女性の政治参加も顕著になるという。さらに、多国間分析においても、女性の政治的指導者のプレゼンスが高いほど、女子の政治的活動に対する志向性も高くなることが指摘されている(Campbell and Wolbrecht 2006)。

Not All Cues Are Created Equal: The Conditional Impact of Female Candidates on Political Engagement on JSTOR

つまり、ジェンダー的な観点からの役割意識が、公選職に対する女性の関心を高めることもありうるのである。

 

以上の5つの「政治的社会化」によって、筆者らは、政治的志向性の男女格差を説明しようとする。もちろん、これらの上記の5つの要因は互いに相関しあっており、政治的志向性の男女格差とは複雑な因果関係があることが推察される。しかし、いずれにせよ、若いうちから男女の政治的指向性に差異が生まれることが予測される。

「政治的社会化」の検証


筆者は政治的志向性の男女格差の原因として、実際に「政治的社会化」がどれほど影響力をもっているのか検証している。サーベイによって筆者らは「政治的社会化」に関する指標と公選職への関心度を含んだデータセットを構築している。ロジスティック回帰分析によって、⑤Gender Roles and Identity以外の「政治的社会化」が公選職への関心度と統計的に有意な関係にあることがわかった。つまり、政治に関する家族背景や学校での活動、競争状況の経験の多寡、あるいは自負心の有無が、若者の政治的キャリアに対する関心を左右する。

筆者によれば、男女比較をしたとき、①〜④までの「政治的社会化」によって、公選職への関心がより高まるのは男性である。他方、女性の場合、「政治的社会化」によって政治的キャリアに対する関心が抑制される。

 

さらに、高校生と大学生を比較した時、男女格差はより顕著になる。4つの「政治的社会化」に依存して、男子生徒は女子生徒よりも74%以上政治的キャリアに対する関心を表明しやすくなる。

 

結論

 

以上から、筆者らは男女はともに若いうちから「同じ要因」によって、将来の政治的キャリアに対する関心を深めていくと結論づける。しかし、筆者らが回帰分析によって明らかにしたのは、政治的キャリアに対する興味関心を形成する上で、女性は男性よりも家族との付き合いや学校活動、競争状況の経験の多寡、自負心といった要因のもたらす影響を享受しにくいという事実である。

 

この分析結果は、政治志向上のジェンダーギャップや女性の代議士の数など様々な点で示唆的である。しかし、筆者らは次の点を強調している。

 

It is critical to note, however, that this is not because young women have less of a sense of civic duty or different aspirations for the future than do men. In fact, when we asked the respondents about their priorities and life goals, we found few gender differences; young women and men were equally likely to want to get married, have children, earn a lot of money, and achieve career success. Male and female respondents were also equally likely to aspire to improve their communities.

 

つまり、本研究の分析結果は、「女性が市民的義務に対して意識が希薄である」や「生来的に男と異なった将来への願望を有している」ということによって政治志向に格差が生じているものではないということである。筆者の言葉を借りれば、男女が政治的キャリアに対して関心を抱くようになる要因は同じなのである。男女間の差異を生じるのは、たとえ同じ要因が働いているとしても、若いころの環境の中で男女でその影響の受け方が異なるからである。筆者らによれば、調査では将来の優先順位や人生の目標において、男女間の差異はほとんど見つけられなかったという。男女ともに結婚や子供を持つこと、あるいは、多くの収入を得たり、キャリアで成功することを望んでいるのである。また、男女ともに自身の所属するコミュニティに貢献したいとも考えるのである。

 

しかし、似通ったの人生の目標を有しているのにもかかわらず、社会的な変化を最も効率的にもたらす方法に関して問われた時、男女間で回答に差異が確認できた。女性の回答者のうち35%は、男性が25%だったのに比べ、チャリティーが最も効果的な方法だと答えた。また、26%の男性は、女性が17%のみだったのに比べ、選挙に出ることが社会に変化を起こす最も効率的な方法だと答えた(有意水準1%で統計的な差異が認められる)。つまり、男女とともに自らの取り巻く世界を改善するような仕事がしたいと考える一方で、男性に比べ、女性は政治的なリーダーシップをその方法とは捉えない傾向にあるといえる。

 

雑感:

本研究は若い時期からの追跡的な調査・分析によって政治的キャリア志向に対する男女格差の要因およびその起源に対して、一つの回答を提示した。男女格差の諸要因がもたらす因果関係は複雑に絡み合っているようである。しかし、因果関係は示されたかもしれないが、諸要因がどういった「メカニズム」で男女のキャリア志向に影響を与えたのかが不明確な点もある。今後の課題になるのではないか。 

また、⑤Gender Roles and Identityと女性の政治的な志向性の高低とに有意な関係が認められない分析結果は注目に値する。というのも、伝統的な男女の分業意識を根拠にした社会構成的な説明では女性の政治的キャリアに対する志向度を説明できないことが示唆されるからである。しばしば、社会構成的な説明では、「歴史的に形成された家父長主義的な分業関係によって女性の社会進出が阻害されている」と強調される。しかし、本研究のデータを見る限りはそのような役割意識が女性の政治的キャリアに対する志向度には影響を与えていないのである。もちろん、本研究はアメリカの学生を対象にした調査に基づいているほか、「政治志向」に限った分析である。女性の役割意識に影響を与える文化的な背景は国や地域ごとに多様であるかもしれないし、「社会進出」には政治的キャリアに関わらず企業の管理職や経営など多様な含意がある。しかし、政治的な志向性の高低と伝統的な男女の分業意識に実質的な関係がないことを示した本研究は、直観的な前提を越える上で、データに基づく分析の有用性を示しているのではないだろうか。

 

 

 

 

 

筆者らは論文中で膨大な量の先行研究をあげているが、紙幅の都合上、本ブログで記載した一部を併記する。

tkeson, Lonna Rae. 2003. “Not All Cues Are Created Equal: The Conditional Impact of Female Candidates on Political Engage- ment.” Journal of Politics 65(4): 1040–61.

Enloe, Cynthia. 2004. The Curious Feminist. Berkeley: University of California Press.

Campbell, David E. 2008. “Voice in the Classroom: How an Open Classroom Climate Fosters Political Engagement among Adoles- cents.” Political Behavior 30(4): 437–54.

Hegewisch, Ariane, Hannah Liepmann, Jeff Hayes, and Heidi Hartmann. 2010. Separate and Not Equal? Gender Segregation in the Labor Market and the Gender Wage Gap. Washington, DC: Insti- tute for Women’s Policy Research.

Iyengar, Shanto, and Simon Jackman. 2004. “Technology and Politics: Incentives for Youth Participation.” College Park: Center for Information and Research on Civic Learning and Engagement.

Mendez, Jeanette Morehouse, and Tracy Osborn. 2010. “Gender and the Perception of Knowledge in Political Discussion.” Political Research Quarterly 63(2): 269–79.

Verba, Sidney, Kay Lehman Schlozman, and Nancy Burns. 2005. “Family Ties: Understanding the Intergenerational Transmission of Political Participation.” In The Social Logic of Politics, ed. Alan S. Zuckerman. Philadelphia: Temple University Press.

「ゴム印」議会に所属する見返り

www.cambridge.org


American Political Science Reviewに掲載されたRory Truex. 2014. "The Returns to Office in a “Rubber Stamp” Parliament". を雑にまとめる


民主主義国家を対象として、議会で議席を得ることで在任者がどのような恩恵を受けるのか研究されてきた。Eggers, A. C., and J. Hainmueller (2009)は、イギリス議会に対する歴史的分析を通して、保守党の代議士は政治的影響力で巨額の富を得ていると指摘する。代議士になることは、落選者よりも、生涯を通じて富を二倍にするという。

権威主義国家においても、議会で議席を持つことが在職者に利益をもたらすことが推察できる。しかし、議会のメンバーシップとその便益を巡っては民主主義国家と異なる点が存在する。すなわち、権威主義体制の文脈では、議会のメンバーシップがもたらす便益が、体制の正統性と関わっている点である。「反対者の取り込み」論 ( Co-optation Theory) では、独裁者が潜在的な反体制勢力を政治過程に取り込むために立法制度を作りだすと論じられる (Gandhi 2008; Gandhi and Przeworski 2006, 2007)。また、「権力支持基盤」理論 (Selectorate theory)では、権威主義体制はレント(私財)を供給し、少数の支持基盤勢力を体制内のポストに囲っていると論ずる (Bueno de Mesquita et al. 2003, 2008)。


「反対者の取り込み」理論 と「権力支持基盤」理論は、権威主義体制に対する記述の仕方に違いがある。とりわけ、権威主義体制がコストを払ってレントを分配するのは、潜在的な反体制勢力なのか、あるいは、体制の支持層なのかで理論の前提が異なる。しかし、いずれにせよ、権威主義体制が関係するアクターの協力を促進する上で、議会のような立法機関をレントないし政治的影響力がもたらされる舞台とする見方は共通している。

 

本研究対象の中国に話は映る。

中華人民共和国憲法は人民代表大会 (National People’s Congress :NPC) を唯一の立法機関と位置付けている。多くの先行研究では、人民代表大会は代議機関としてはほとんど政治的影響力を有していないことが指摘されてきた。つまり、人大の在任者は、中国各地の人民を代表する立場にあるが政治的影響力に乏しい。それゆえ、「ゴム印」(人大は党の決定を拍手喝采で礼賛し、追認するだけ)と揶揄されてきた経緯がある。また、中国共産党は人大代表者の汚職を日常的に取り締まり、代表者自身には何の見返りもないとされてきた (O’Brien 1994)。

 Agents and Remonstrators: Role Accumulation by Chinese People's Congress Deputies on JSTOR

 

人大は政治的役割に乏しい。しかし、先行研究から示唆されるのは、権威主義体制が正統性を保つために、各アクターにレントを分配する人大の制度的側面である。そこで、Truex (2014)は、以下の問いを立てる。

Research Question:

・Are there “returns to office” in authoritarian parliaments?
・If so, how exactly do representatives and their affiliates obtain benefits, given that these institutions are so highly constrained?

 

そして、実際に中国の立法機関である人民代表大会の議席を持つことが在職者にいかなる利益をもたらすのかを検証した。その検証には、約3000人の人大代表およびその人大代表が経営者を務める企業情報を含んだ金融データを用いる。そして、「経営者が人大代表であるか否か」と「企業業績」間の因果関係を検証した。検証の結果、経営者が人大に議席を持つ企業の利益は、そうでない企業よりも、ある1年で統計的に1.5ポイント高い。また、営業利益率は3〜4%高い。

 

データ

検証に用いた二つのデータセットは以下の通りである。

①the NPC Deputy Database (NPCDD)
第11全国人民代表大会(2008-2012)における約3000人の人大代表に関する情報から構成されたデータセット。年齢、性別、共産党員か否かなど、収集可能な人大代表の個人情報も含む。筆者により、ネット上や新聞紙からで公開されている人大代表の情報を収集し作成。

②the COMPUSTAT financial database
企業の金融データ(株高、収益、国有化否か、産業区分、負債、納税額)を含む。ソースは以下より。

Wharton Research Data Services 


分析手法


筆者は、企業を処置群と統制群に割り当てた。そして、両グループを比較し、処置変数(人大代表が経営者であること)の企業業績(総資産利益率ROAと営業利益率MARGIN)に対する平均因果効果を推定する。また、筆者は分析において「差分の差分」(difference in differences: DID)アプローチの問題点を強調している。

 

As mentioned in the Introduction, researchers em- ploying this sort of difference-in-differences thinking must argue that in the absence of the treatment, the average change in the outcome variable would be equal across both groups. This “parallel trends” assumption often appears problematic. Indeed, for this analysis, the raw data would not make for a particularly convincing counterfactual.(p.239)


この記事でも述べたように、DIDで必要になるのが「平行トレンド」の前提である。すなわち、もし仮に「処置」がなければ、両グループの従属変数(企業業績)の平均変化は一様になる、という前提である。しかし、「平行トレンド」が存在するかの検証は不可能である。というのも、反実事実的な推論を行う以上、処置を受ける前の状態、つまり、統制群中の企業の経営者が人大代表でなかった場合の企業業績は観察できないからである。

そこで、筆者が用いるのは、"entropy weighted fixed effects design"である。これは、加工前の処置変数を用いた分析に施されるマッチング手法である。「平行トレンド」の前提は、処置群と統制群が処置を受ける前の時点で、よく似ている方が満たされやすいことが知られている。そのため、筆者は処置を受ける前の金融に関する共変量(株高、収益、国有化否か、産業区分、負債、納税額)で、処置群とよく似た統制群を選び出している。したがって、”entropy weighted fixed effects design"によって、DIDに付随する「平行トレンド」の問題を最小限に抑え、処置変数だけがもたらす平均因果効果を正確に推定できるのである。

 


人大代表と企業業績の関係

分析の結果、人大を代表になることは企業業績の上昇と統計的に有意な関係があると確認された。つまり、人大の議席を持つことは、少なくとも企業業績という形で利益がもたらされることを意味する。では、人大代表が企業業績を上昇させるメカニズムとは一体何か?筆者は二つのメカニズムの可能性を指摘する。

①Formal Policy Influence
第一に考えられるのは、人大代表の企業経営者が、議席を持つ強みを生かして、自社に有利な政策を推進している可能性である。実際、人大代表は政策に対して発議権を有している。

そこで、筆者は、2008年から2010年の人大代表による発議(1939件)に対して、その中で企業経営者を兼ねる代表が自社の利益に沿って意見や動議、提言を行なっているか分析した。

 

人大代表の発議内容に対する分析の結果は、次の通りである。「企業経営者である人大代表」は「ビジネス環境の改善」をはじめとして経済関連のトピックスに対して発議するような傾向が見られれなくもない。他方、「企業経営者ではない人大代表」は「地方の発展」や「雇用」「教育改革」等の問題で発議をしている傾向があるように思える

下線部から伺えるように、人大代表の経営者が自社に有利な発議をしているかは微妙なところである。また、企業単位レベルのトピックに発議が集中している傾向は一切見られなかったという。そもそも、人大代表の経営者は「産業全体レベル」で何かしらの政策的影響力を行使することができるかもできないが、その発議は必ずしも特定の一企業(自社)の利益を支持できるとは考えにくい。それゆえ、筆者は人大代表が企業業績を上昇させるメカニズムとしてFormal Policy Influenceは妥当ではないという。

 

②Positive External Perceptions
第二に考えられるメカニズムは、人大のメンバーシップによって自社の評判が高まるというものである。筆者によれば、人大のメンバーシップは良好な経営状況や政府官僚とのつながりを象徴するシグナルとして外部に受け取られ、投資やビジネス関係を促進する“reputation boost” になるという。

 


One observable implication of the external percep- tions mechanism is that stock prices should move in reaction to news about NPC membership. If outsidersreally do take NPC membership as a positive signal, firms that gain NPC membership should experience better stock performance in the period immediately following the announcement of this information.17 This type of event study has been used in previous research to measure the financial benefits of political connec- tions (Ferguson and Voth 2008; Fisman 2001; Goldman, Rocholl, and So 2009).

 

「外部の評判効果」メカニズムに関しても、筆者は人大代表の企業経営者とそうでない経営者の企業株価の変動(2007-2008)を比較し、検証している。検証では、処置群と統制群で株価は同様に推移していたが、2007年12月に人大代表者の名簿が発表されて以来、処置群の株価推移には、統制群との平行な推移を逸脱するような上昇傾向が確認できるという。したがって、筆者は人大代表権と企業業績の関係には「外部の評判効果」メカニズムが存在すると結論づけている。

 

まとめ

Truex (2014)は、これまで「ゴム印」としてみなされてきた人民代表大会に、体制側が各アクターにレントを分配する制度的側面があることを実証した。
比較政治学では、権威主義体制が有する「名目的な民主的制度」がレントの供給に一役買っていることはこれまで指摘されてきた。他方、中国の地域研究では、人民代表大会の代議機関としての機能に対する関心は依然低い。しかし、中国の地域的文脈に即した観察を取り入れながらも、計量分析を行うことで、比較政治のみならず地域研究の先行研究にも資するような考察がなされた点で意義深い。

また、方法論の観点でもDIDを無分別に使うのではなく、データの性質を考慮して分析方法を精緻に議論しているのは注目できる。

 

以上を踏まえ、以下のような疑問も抱いた。

①逆の因果経路の可能性
Truex (2014)では、「人大のメンバーシップが、企業業績の上昇をもたらす」という因果関係を結論づけている。確かに、株価の推移に関する分析では、「株価の上昇」に先立って「人大代表者の発表」が先行しているが、企業業績を決定ずけるのは株価だけではない。むしろ、これまでの先行研究、とりわけ地域研究では様々な政治的・経済的リソース持つ人物が人大に選ばれると考えられてきた。そのため、「企業業績がよい経営者ほど人大に加わりやすい」という逆の因果経路の可能性は看過できない。Truex (2014)は、逆の因果経路の可能性を指摘してはいたものの、結局、その可能性を払拭できたとする根拠は曖昧にみえる。

②レントを供給する体制側のインセンティブが不明確?

この研究のメカニズムの説明によれば、人大のメンバーシップが結果的に「外部評判」により利益をもたらすということを意味する。先行研究のように立法機関での政治過程にアクターを参加させるという体制側の制度設計のインセンティブが不明確になる。それゆえ、先行研究の理論との一貫性にやや欠けるような気もしなくもない。



onlinelibrary.wiley.com

 

Political Institutions under Dictatorship

Political Institutions under Dictatorship

 

 

 

 

The Logic of Political Survival (MIT Press)

The Logic of Political Survival (MIT Press)

  • 作者: Bruce Bueno de Mesquita,Alastair Smith,Randolph M. Siverson,James D. Morrow
  • 出版社/メーカー: The MIT Press
  • 発売日: 2005/01/14
  • メディア: ペーパーバック
  • この商品を含むブログを見る
 

 

 

 

 

共産党内で出世すること—党中央委での出世を証明する—

American political science reviewに掲載されたShih, Christopher and Mingxing (2012) Getting Ahead in the Communist Party: Explaining the Advancement of Central Committee Members in China.(「共産党内で出世すること—中国における党中央委での出世を証明する—」)を紹介する。

 

www.cambridge.org

 

前回は、中国共産党における政治的キャリアにおいて、政治的指導者の「経済業績」が重要であると論じる論文を紹介した。

本論では、経済業績論に対抗して、中国共産党の政治的キャリアの昇進においては、派閥関係や学歴が重要であることを論じている。

本論文の概要は以下の通りである。

著者らは、1982年から2007年までの共産党員の階級を含むデータセットを用いて、共産党員の昇進と経済業績との関係を検証した。その結果、共産党員の政治的キャリアの向上と経済業績の間に関連性はなかった。対照的に、党員の政治的キャリアにとって統計的に関係があるのは、派閥による繋がり(factional ties )や教育水準である。あるいは、より軽度であるが、少数民族か否かが、昇進の要因となっている、というと論じられる。



著者らが分析対象にしたのは、中国共産党中央委員会(CCP Central Committee)とその候補委員会(Alternate Central Committee)および政治局常務委員会である。政治局常務委員は、最高意思決定機関であり、次いで、中央委員会、そして中央委員会候補である。これらの中国共産党の主要機関で各党員のランクがどのようなパターンをたどるかを分析することになる。

 

個人レベルで党員の階級(1982-2007)や所属派閥、学歴、民族分類を包括したパネルデータでベイズモデルによる統計分析を行うと、派閥がもっとも党員が昇進できる可能性に影響を与えているという。第16回党会議データでは、党員が所属しているのが鄧小平派閥であれば14ポイント、胡錦濤派閥(中国共産党青年団)は7ポイント、昇進する可能性が高い。これの分析は、各政治的指導者が昇進する前年の経済業績(GDP成長率・財政収入)の影響を差し引いていた上で行われている。つまり、経済業績を考慮しても、派閥が党員の昇進確率に最も影響を与える要因だと結論づけている。

 

ただ、江沢民派閥の党員は平均的な中央委員会候補と同じ水準であった。著者によれば、江沢民の支持者はほとんど行政官の経験がなく、政治的なコネクションもないことから、江沢民の支援があったとしても、せいぜい中央委員会候補に留まるのだという。

 

また、派閥以外にも共産党員の昇進確率を決める要因があるという。派閥に次いで、大きな影響力があると推定されたのは教育水準である。大学卒以上の学歴の影響を除いて分析すると、25%もの党員のランクの下落が推定される。つまり、共産党は大学卒以上の学歴を持つものはやはり昇進しやすいのである。また、党員が少数民族であることも昇進の確率を高める。社会のマイノリティーを体制に取り込むことで、効果的な統治がされていることが示唆される。対照的に、女性は昇進において不利だという。

 

一連の分析を通じて強調されるのは、共産党の昇進と経済業績の間には関連性がないということである。確かに、中国は改革開放の30年を経て、支配の正統性において、経済成長が重要視されてきた経緯がある。そして、中国の統治構造もより能力主義的になったと論じられてきた。しかし、党員「個人レベル」の昇進パターンを分析すると、経済業績は統計的に有意な要因とは言えない。

筆者らが指摘するのは、中国の統治システムは、「権力支持基盤理論」( Bueno de Mesquita et al.  2003)に沿ったものだという。

 

The Logic of Political Survival

The Logic of Political Survival

  • 作者: Bruce Bueno de Mesquita,Alastair Smith,Randolph M. Siverson,James D. Morrow
  • 出版社/メーカー: The MIT Press
  • 発売日: 2003/08/28
  • メディア: ハードカバー
  • この商品を含むブログを見る
 

 

独裁者のためのハンドブック (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

独裁者のためのハンドブック (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

 

 

「権力支持基盤理論 」(the selectrate theory)に関しては、簡単に確認するのにとどめておく。
支持基盤理論では、政権を維持する側と政権を打倒する側で絶えず権力闘争が発生していることを議論の前提に置く。一度、権力を握った政治的指導者は、自分の政権を維持するのに重要な三つのグループを管理しなければならない。

①名目的支持基盤(nominal selectrate)
指導者を選出する権利を理念上持つ集団。民主主義国家における有権者のことを指す。政権に対する影響力は持っていない。

②実質的支持基盤(real selectrate)
政権に影響力を与えることができる支持者の集団。政治的指導者は、政権を維持する上で実質的支持基盤の好みにあった政策を行うことができる。

③勝利連合(winning coalition)

勝利連合は実質的支持基盤の中から選ばれた集団である。具体的には、政党や閣僚、あるいは軍の幹部たちである。政権の運営にとって欠かすことができない有力者集団であるため、政治的指導者によって様々な特権が付与される。

政治的指導者は、市民を満足させるgood policyや勝利連合への特権付与に関心を持つ。その際、政治的指導者の意思決定を左右するのは、勝利連合の大きさである。勝利連合が大きければ大きいほど、指導者は多くのコストを払って、私財ないし特権を与えなければならない。民主主義では、勝利連合のサイズが有権者のサイズと近くなっているため、指導者がコストを支払うのは公共財に傾向がある。他方、権威主義体制では、勝利連合や実質的支持基盤のサイズが比較的小さいため、私財(特権)を与える方が合理的になるのである。


Bueno de Mesquita et al.  (2003)は上記の権力支持基盤をゲーム理論および計量分析を用いて検証している。詳しくは、上記リンクを参照されたい。

本論文で、共産党の昇進の理論的説明で言及されるのが、まさに権威主義体制のエリートによる取り込みである。「経済業績」論は、社会の経済発展を要請する社会の声を前提とする点に特徴がある。それゆえ、より良いパフォーマンスを示う共産党員が昇進しやすいという論が展開される。しかし、本論文によれば、中国の権威主義的統治システムでは、社会の要請よりも、統治者の権力維持という側面が反映されているという。したがって、自分の権力基盤に近いグループに利益をもたらされる傾向があるとされる。

Shih, Christopher and Mingxing (2012)の論文では、「経済業績」論に対抗する説明が展開された。とりわけ、党員個人レベルのサンプルを用いて、昇進パターンをベイズモデルで検証する方法は、方法論的にも精緻なものとなっている。しかし、本論文でも以下の点が問題として指摘できそうである。

①派閥のコーディング

計量分析を行う点で、派閥の操作化が問題となる。地域研究の観点から言えば、本論文で示されるコーディングの方法が、中国政治における実際の権力関係を捉えているものといえるかは疑問が残る。というのも、どの党員がどの派閥に属しているかの判断は極めて困難だからである。Shih, Christopher and Mingxing (2012)では、「過去に派閥指導者と同じ職場で働いたことがある」などを指標に所属派閥のコーディングをしているが、実際の派閥関係を反映したものといえるだろうか?

 

②省レベル以下の分析

中央レベルでは、経済業績以外の要因が大きくなるかもしれないが、省レベル以下では、派閥的なつながりも希薄になる。Shih, Christopher and Mingxing (2012)では、派閥や教育水準の影響をコントロールする際に用いるのが、省レベルの経済指標である。とりわけ、省指導者は、「地方利益の代表」者と「中央政府の政治家」の利益を持っている。実際に、中央と省長の役職を兼任していることも少なくない。つまり、省指導者の昇進要因で、経済業績が弱くなるのは、ある意味当然である。省レベル以下の単位でも、派閥や教育水準などが党員の昇進要因となっているかどうかを確認するには、追加的な分析が必要である。

中国における政治的キャリアと経済パフォーマンスの関係

政治学、とりわけ民主主義国家において、政治的指導者のと経済パフォーマンスの関係に関する研究の蓄積は厚い。

 

例えば、有名な「経済投票」(economic voting) 論では、有権者は政治家の経済業績をみて、投票するかどうかを判断する。

Lewis-Beck and Stegmaier (2000)は、財政状況が政治家の再選確率に影響することを示した。また、政治家でなくても、Feiock et al. (2001)は、1970年代から1990年にかけてのアメリカの都市のパネルデータを用いて、一人当たりGDP成長率が高いほど、行政官が罷免されにくくなることを示した。

 

 

上記のように、経済パフォーマンスが政治的指導者のキャリア(罷免されずに在職を続けられるか、あるいは昇進できるか)に影響することは民主主義の文脈では盛んに研究されてきた。より良い経済パフォーマンスを達成した政治的指導者に市民が支持をするのは直感的に受け入れやすい事実である。

しかし、中国をはじめとする選挙の存在しない権威主義国家では、経済パフォーマンスはどれほど政治的指導者のキャリアに影響するのであろうか?そこで、今回紹介するのは、中国における政治的指導者のキャリアと経済パフォーマンスの関係に関する研究である。

 

今回、まず紹介するのはJournal of Public Economicsに掲載されたLi Hongbin &Zhou Li-An (2005). Political turnover and economic performance: the incentive role of personnel control in Chinaである。

 

Political turnover and economic performance: the incentive role of personnel control in China - ScienceDirect

 

本論文で論じられるのは、中国における政治的指導者の転出(political turnover)と経済パフォーマンスの関係である。political turnoverというのは、ある現職の政治的指導者が他のポストに左遷や昇進すること、あるいは引退してしまうことなどを指す。

 

競争的な選挙の存在しない中国では、ある政治的ポストに関する人材の任命は、上層部の意思決定に委ねられる。そして、本論文では、権威主義体制の中国においても経済パフォーマンスが政治的ポストへの人材雇用に関する重要な判断基準になっていることが論じられる。

確かに、鄧小平時代以降、中国は経済成長を著しく成し遂げ、各種の制度化も進展した。その際、政治的指導者のキャリアも実力主義(meritocracy)に沿ったにものになったと主張されてきた。

それでは、実際に中国の政治的指導者は、経済パフォーマンスに応じて、昇進しているのだろうか?


そこで、Li&Zhou (2005) は、1975-1995年の中国の各省254の政治的指導者(省委書記・省長)のturnoverおよび各省の年間GDP成長率からなるパネルデータを用いて計量分析を行なった。分析の結果、年間GDP成長率、すなわち経済パフォーマンスが高ければ高いほど、各省の政治的指導者のturnoverが起こりやすいと論じられている。

 

ここで、注意したいのは、turnoverは必ずしも昇進を意味するものではなく、政治的指導者の自然死や左遷、引退も含んでいることである。しかし、Li&Zhou (2005)はデータ上の一つひとつのturnoverに目を通し、概して、中国の省レベル政治的指導者のturnoverのほとんどが「昇進」であることから、経済パフォーマンスの高さが昇進の可能性を高めていると結論づけている。また、パネルデータには、政治的指導者の年齢や学歴などもカバーしており、年齢や学歴の影響以上に経済パフォーマンスがその政治的指導者の昇進に大きく関わっているという。

 

また、省レベル以下の研究でも、地方政府でも経済パフォーマンスが政治的指導者のキャリアにとって重要であることが論じられている。

 

Guo (2007)によれば、中国では県および県級市 (1995-2002) のパネルデータを用いて同様の計量分析しても、経済パフォーマンスは政治的指導者のキャリアに統計的に有意に影響しているという。つまり、経済パフォーマンスが高ければ高いほど、中国における地方政府の指導者はturnovr (昇進) しやすいというのである。また、中国の政治システムでは、省レベル以下では、より経済管理権限が分権化されている。そのため、経済パフォーマンスを追求する政治的指導者のインセンティブも顕著だと論じている。

 

本記事では、中国における政治的指導者のキャリアと経済パフォーマンスの関係に関する研究の一部を紹介した。冒頭でも述べたように、民主主義の文脈では経済パフォーマンスの関係を取り上げた研究は多い一方で、権威主義体制に着目する研究はまだ少ない。また、中国研究においては、1970年代後半の「改革開放」以降、中国共産党階級闘争よりも能力主義を重視するようになったと論じられてきた経緯がある。そして、今回紹介した研究は、能力主義的観点で中国の政治的キャリアを実証分析した点で意義があるだろう。

他方、中国の政治的キャリアを決定づける要因として、まだ看過できないのは非制度的な人間関係である。つまりは「コネ」である。中国語でも「関係社会」と称されるように、中国社会では、社会の立身出世において「コネ」が重要とよく言われる。Li&Zhou (2005) やGuo (2007)も、政治的指導者の業績以上に、特定の派閥に属していることが政治的キャリアにとって重要である可能性は否定していない。

そこで、次回は中国の政治的キャリアに影響を及ぼす要因として、派閥をはじめとした「非制度的な人間関係」に着目した研究について見ていきたいと思う。

 

Guo, Gang (2007). Retrospective Economic Accountability under Authoritarianism Evidence from China. Political Research Quarterly 66(3). pp.378-390.

 Lewis-Beck, Michael S., and Mary Stegmaier. 2000. Economic determinants of electoral outcomes. Annual Review of Political Science 3 (1): 183-219.

Feiock, Richard C., James C. Clingermayer, Christopher Stream, Barbara Coyle McCabe, and Shamima Ahmed. 2001. Political conflict, fiscal stress, and administrative turnover in American cities. State and Local Government Review 33 (2): 101-8.

Lewis-Beck, Michael S., and Mary Stegmaier. 2000. Economic determinants of electoral outcomes. Annual Review of Political Science 3 (1): 183-219.